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グラフィティアートの祭典、日本上陸ーThe World Wide Graffiti Art Exhibition In DAIBA開催ー

最先端のグラフィティアートやストリートアートをウェブ販売しているhighart-gallery.comが、自サイト内で紹介されている作品を、お台場 ホテル・グランパシフィック LE DAIBAにあるGALLERY21で2015/4/25(土)~5/31(日)の期間で展示販売する。出展を予定しているのはBanksy、D*FACE、Mr.Brainwash、DOLK、KAWS、OBEY、The London Police、BEN FLYNN、Nick walkerの9人だ。入場料は無料だ。初夏のお台場の海風を頬に感じながら、グラフィティアートについて思いを巡らせるような休日も悪くはないだろう。

グラフィティアートとは

ではそもそもグラフィティアートとはなんなのか。その音を聞いたことのある人はいるだろう。なんとなくだけれども知っている、という人もいるに違いない。少し治安の悪い繁華街の路地裏や古いビルの壁、人気のない寂れた商店街のシャッターに、スプレーで丸みを帯びたフォントで落書きがされている・・・より一般化されたイメージでいうならこんなところだろうか。

こうしたイメージは正しいものだ。
グラフィティ(graffiti)という英単語自体が「落書き」を意味するのだから。
夜な夜な不良共が、うんこ座りでたむろし、やおらに腰を上げて、スプレー缶でへたくそな殴り書きをする、そういう悪いイメージで語られる一方で、藝術的、文化的な感度の高い人たちの間では今回の「The World Wide Graffiti Art Exhibition In DAIBA展」にも出展されるBanksyのようなアーティストがもてはやされたりもする。

では結局のところこれはアートなのだろうか、それとも治安の悪さ、都市の衰退ぶりを示す迷惑極まりない落書きなのだろうか。それについて考えるためには、まずはその歴史から振り返ってみる必要があるだろう。


グラフィティアートの歴史

グラフィティの歴史は、第二次世界大戦中にまで遡ることができるとされている。もちろんグラフィティのもつアンダーグラウンドカルチャーとしての性格上、完全にその歴史をたどることは不可能であるし、解釈によっては原始時代の壁画でさえグラフィティに含めうるから、「そう言われている」というだけのことでしかない。

とにかく、グラフィティは戦中、アメリカの爆弾工場で働いていたキルロイという人物が出来上がった爆弾に「KILROY WAS HERE」(キルロイはここにいた)と白いチョークでいたずら書きしたのが最初だと言われている(ただし都市伝説的な側面が強くあり、真相ははっきりしない)。
もちろんキルロイの以前にも「自分がここにいた」という叫びを、学校の机や路地裏の薄汚れた壁面に落書きしていた人はいくらでもいたはずだ。
だがキルロイが彼らと違ったのは、彼の名前の記された爆弾が、戦時中にヨーロッパに投下される際に兵士たちの目に触れ、それによってその名前とロゴが世界で広く知られるようになったということだろう。その結果として世界のいたるところにこの「KILROY WAS HERE」(キルロイはここにいた)」の落書きがほどこされることになる。
もちろんこれらの「キルロイ」は本当のキルロイではない。
だが本当の「キルロイ」が誰だったのか、ということはさして重要ではない。戦争の不安の中で、明日には悪辣暴虐な敵国家が自国に攻めてきてこれまでの生活を破壊してしまうかもしれないという恐怖の中で、人々が自分の存在を「キルロイ」に託して街中に刻み付けたのだ、ということ、それこそが真に重要なのである。

出典: www.webgakinome.com

自分の存在を、世界に対して訴えかけること、そこにグラフィティの本質があるということは、1970年頃のアメリカにおける初期のグラフィティが、主にタギングと呼ばれる落書き(それは決してアートと呼びうるようなものではなかった)によって、自分の帰属するコミュニティや名前をただ落書きするだけのものであったということからも明らかだろう。画像は電車の車体にほどこされたタギングだ。彼らは仲間内でわかる符号を使うことで、一種の非言語コミュニケーションを行っていたのであった。

このタギングがある一定の層に受け入れられ、爆発的な流行を博すようになると、物凄い量のタギングが行われた。こうしたあまたの落書きは、そのうち次第に洗練され、その複雑さ、芸術性の度合いを高めていったのであった。
すでにグラフィティのある場所に上塗りする際には、より芸術性の高いグラフィティを描かなければいけないという暗黙のルールの存在も芸術性を向上させるのに大いに役立ったという。

そしてグラフィティが高度に発展し、街中の落書きの前に足を止める人々があらわれたとき、それは仲間内でのコミュニケーションのツールではなく、より多くの人に対して自分を表現するものとなった。そしてそれがさらに受け入れられると、グラフィティは単に自分の存在を都市に刻み付けるという自己確認的な表現から、社会に対して批判的に自分の意見を、アティテュードを述べるような表現媒体になった。すくなくとも社会は、人々は、グラフィティをそのように見るようになった。
ここにおいてアートとしてのグラフィティが成立したのである。

グラフィティーそれは落書きか、アートかー

ここまででざっと、最初は単に自分の名前を落書きするだけだったものが、いつしかアートだと言われるようになる過程を説明した。
だが、路上に現れたグラフィティアートは「これこそが真の芸術のあり方として讃えられるべきだ」と受け入られる一方で、不良の文化であるという見方をされることも多い。公序良俗に反した、文化破壊的な行為であるという人もいる。たしかにそれがいくら芸術的であったとしても、たとえば公共のもの、社会全体で共有されているものに個人が勝手に落書きをすることは許されるのか、それははたして芸術と呼びうるのだろうか。

こうした相反する意見、すなわちグラフィティアートを貶すものと、称賛するもの、はどちらも正しい。なぜならばグラフィティアートは、まず第一に、その他の多くのコンテンポラリーアートがそうであるように、芸術とはいったい何なのか、という“そもそもの問い”を内包しているからだ。
そもそも芸術とはなんなのか。グラフィティアートが芸術じゃないのだとしたら、それは美術館に飾られていないからなのか。じゃあ美術館に飾られさえすれば落書きでも芸術になるのか。また、高度なグラフィティが芸術だとして、どこまでが落書きでどこからが芸術なのか。
もちろんグラフィティを描いているペインターがいちいちそんなことを考えてながら書いているとは思えない。しかし我々が街中でグラフィティを見るとき、ある時はそれを落書きだと思い、ある時はそれを芸術だと思うなら、その時我々は、芸術というものの概念がひどく揺さぶられていることに気付くはずだ。

おそらく答えはないのだ、なにが芸術なのかなんてことを確定させるのは土台無理なのだ、だから考えるに値しないのだ、と厭世的になってしまう心の動きは、グラフィティが我々の中の芸術概念を揺さぶっているときには生じないに違いない。そこにはただただ原初的な問いかけのみがある。重要なのは答えを出すことではない。問いかけ続けることなのである。

初夏に、お台場で芸術について思いをめぐらせてみるのも、きっと実り多い体験となるだろう。
もちろんお台場まで行かなくても街中に多くあるグラフィティに目を向けてみてほしい。いつもの道にあるいつもの落書きが深い思索の扉を開いてくれるかもしれない。






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編集部 三宅隆平

脳髄を置いてきぼりにして走る

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