大人のテーブルマナー②ー和食、会席の作法ー

フレンチやイタリアン等に関しては、最近ではカジュアルに入ることのできる店が増えてきたこともあって、そのマナーが広く知られるようになっている。しかしながら和食に関しては、特に日本人である、という自負もあってかあまりマナーが身についているとは言い難い。だが社会人、それもある程度キャリアを積んだ二十代後半から三十代前半くらいのビジネスパーソンの場合、接待等で格式高い料亭にいくことも多いのではないだろうか。 「大人のテーブルマナー」第二回はそんな和食、とりわけ会席料理のマナーについて説明していきたい。

芸術としての食

まるで芸術品のようだ!! 和食を形容するときに、多くの場合自画自賛気味にこのように形容されることがある。この表現は正しくない。和食は芸術である。芸術、という言葉が西洋由来の概念であり、その言葉の内包するところのものが、伝統的な日本の価値観からずれていることを承知でなお、私はこのように申し上げたいとおもう。昨今の日本の自画自賛ブーム(海外の反応「和食はなんて美しんだ」云々)は見ていて恥ずかしくなるものの、飲食に関わる行為を芸術の域にまで高めているのは日本くらいのものなんじゃないか、と思う。
それが如実に表れているのが茶道という文化だ。お茶を飲む行為を芸術の域にまで高めようなんて誰が思うだろうか!

伝統的な日本食を芸術として、その表現がなじまないなら芸道として扱うとき、それは盛り付けの美しさをのみ差しているのではない。むしろ茶道においてそうであるように、それをいただく作法が重視される。

日本食の作法の歴史的背景

前回の記事で、現在のフレンチにおけるようなテーブルマナーの原型が16世紀に成立したものである、ということについて軽く触れた。衛生観念が育ち、貴族文化が興隆しつつあったことを背景として、同時に外交儀礼としての側面を強く持ち合わせつつ発達してきたのだ、ということを説明した。

日本の場合は幾分異なっている。日本の食作法がある種の芸道としての“型”を要求した背景にはその歴史の独自性があると考えてよい。

まずその成立が平安時代と、西洋に比べてかなり早かったこと。貴族文化、公家文化華やかなりし時代である。平安時代に成立した公家的な食作法は、江戸時代において町人、商人にも引き継がれることになる。またその文化が、時には断絶の時代を経つつも、一定の連続性を持って受け継がれ、発展してきたのも洗練の度合いを高めることになった。

そして島国であったこと、さらに江戸時代に鎖国を行っていたことから、外国との、異文化との対等関係における交流がなかったこと。さらには歴史全体としてみると太平の時代が長かったこと。それゆえ外交上のコードとしての意味合いが薄くなり、より洗練された所作を競うようになったのである。(もちろん外交としての意味合いもあった。例えば戦国時代における茶道、茶室は外交のためのツールであったし江戸時代に入っても商談等は料亭で開かれることが多かった。)

実際の食作法

かように芸術的、あるいは芸道として高められてきた食作法であるが、その全体をマスターするのは至難を極める。したがって今回は基本中の基本となるような部分に絞ってみていきたいと思う。

お茶わんやお椀はもちあげる

和食、とくに会席等のかしこまった場においてはお椀を持ち上げずに食べることはマナー違反とされる。
日本以外の国ではむしろ持ち上げることがマナー違反にあたるが、歴史的に正座の文化であった日本では、お膳の位置が低く、器を持ち上げないでたべるとこぼれて汚れる可能性が高かったためこのような食作法が生まれたのである。

左側にあるものは左手で、右側にあるものは右手で持つ

お膳の右側にある小皿を持ち上げようとするときは、右手で持ち上げなければならない。いったん右手で持ち上げた後、左手に持ち替えて食べるのである。なんでそんな手間のかかることをするんだ、と思われるかもしれないがこれにもちゃんと理由がある。
いまでこそぴったりとしたシャツを着るようになったが、昔の人が着ていたのは着物だ。だから右側にある器を左手でとろうとすると、着物のそでが食べ物にぶつかってしまうことになりかねないのである。ぴったりとした服をきるようになった現代でも、時折袖が食べ物に触れてしまうことはあるだろう。無用なリスクをおかさないためにも、普段から意識しておきたいことである。

箸使い

箸の使用はアジアを中心に広く見られるが、それでも多くの場合は副次的、補助的な道具として用いることが多い。対して日本食では箸以外のものはほとんど使用しないし、食事もそれに合わせて発展してきた。だから日本食の作法は箸に始まり、箸に終わるといっても過言ではない。ねぶり箸や刺し箸、箸渡し等を箸に関する作法は山ほどある。
上記の二つのマナーが主に合理性に基づいて成立した所作であるとするなら、箸づかいに関しては、その多くは日本的な抑制の美意識に基づいて成立した所作であるように思う。

例えば箸の取り方、置き方だ。箸置きから箸をとるときに利き手のみを使ってとってしまうのはマナー違反だとされている。実際には下の動画のようにいささか面倒くさい手順を踏まなければならない。

またお椀を持ち上げた際の箸の持ち方にも作法がある。

ちなみに嫌い箸は、食事を美しく食べるための所作という側面を持つ一方で、例えば箸渡しや違え箸、仏箸のように、死者に関わるが故のタブーとしての側面も強く持っていて、非常に興味深い。

最後に

日本食の作法を完璧にするのは困難だ。そもそも複雑であることに加えて、急激な西洋化とともに失われてしまったものが多いからである。
だが今回紹介したこと、とくに器を持ち上げることと箸の使い方、これを意識するだけで印象はがらりと変わる。ちょっとしたお店でも、凛として姿勢を正し、器を持ち上げ、適切な箸使いで食べている人をみかけると、ずいぶんと育ちが良いものだ、上品だなあなんて感じる。
まあ面倒くさいし、時間もやたらかかるし、忙しい仕事の合間の昼休みに意識できるようなことではないが、たまには気を引き締めるためにも、こういう所作を意識してみてはいかがだろうか。

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