「シンプルなかたち」展にて美を思う

4月25日から7月5日まで、六本木ヒルズの森美術館で開催されている「シンプルなかたち」展に先日いってきた。

シンプルなかたち

19世紀の終わりごろ、写真技術の発達をはじめとする科学技術の発展や、社会時代の変化とともに再認識された「シンプルな美」。
そうした「シンプルな美」を、自然の中や、世界各地の原始的な芸術に見出し、コンテンポラリーアートと同じ文脈で提示する本展は、私自身にとっても非常に興味深いものであったし、アクセトリーの読者にもおすすめできる内容であった。

今回はそんな「シンプルなかたち」展について、所感を書き連ねていきたい。

森美術館ならではの展示

梅雨の始まりを告げるような雨が止んだ夕暮れ時だった。ずいぶんと日が長くなったものだなあ、そう思いながら私は六本木ヒルズにきていた。もちろんお目当てはその六本木ヒルズに入っている森美術館。

森美術館というのは非常におもしろい展示を企画してくれるところで、なかなかマニアックな切り口の企画に「オッ」と思わせられることも多い。今回の「シンプルなかたち」展も同じだ。集客が期待できそうなネームバリューを持った有名アーティストの作品はほとんどない。

こんなとんがった展示をこの規模でできるのも、美術館のチケットが六本木ヒルズの展望台と抱き合わせになっているから。そっちの展望台目当てでチケットを買った人が、どうせなら美術館とやらも見てみるかってな具合で入ってくるのだという。

美はどこからくるのか

会場にはいってまず目に付くのが上の画像の右のインスタレーション。
しなやかに、いまにも動き出しそうな表情をつけられた作品の周りには、原始時代の火打石や、河原の石ころ等が展示されている。

基本的にこの展覧会はコンテンポラリーアーティストの作品と、古代から現代にいたるまでのアートでは決してないもの(それは鉱物の模型であり火打石であり、河原の石ころであり、プロペラである。
その多くは自然のものである)が互い違いに並べられていて、まさに「美はどこからくるのか」というテーマを考えさせられる内容になっている。

美しい、という言葉が芸術だけの特権ではないのはご存じのとおり。山や空をはじめとした自然であれ、人間、馬、ライオン、なんにせよそうした動物たちであれ、半ば自然に飲み込まれた廃屋であれ、美しいと形容されるためにそれが美術館に飾られている必要性はないのである。

美しい、という感情は、美術館なんかよりも、そして美術品や芸術なんかよりもずっとずっと先に生まれたものだ。
だから「シンプルなかたち」展で、芸術品が、さりげない形で鉱物模型や火打石といった自然のものや、ブーメランのような合目的的な道具(一般的に機能美とよばれるもの)と並べて提示されるとき、それはある種の困惑を我々に引き起こさせる。

我々が、「シンプルなかたち」展に展示されているシンプルなかたちの現代アートを美しいと思う、その起源は疑問の余地なく自然や合目的的な道具に帰することができる。
もちろん今回展示された作品だけではない。シンプルでない、美術館に展示されているような普通の芸術も、その美の起源を自然やら道具やらに還元できるだろう。山は絵に描かれるより以前から雄大で美しく、美女は絵のモデルになるより以前に美人なのである。

その一方で、そうした美の起源であるところの石ころたちは、美術館においてその子孫である芸術品と同時に並べられることで、単に美的なだけではなく、芸術的な価値をも帯びることになる。おそらく石ころは、それが単に河原に落ちているだけでは、美的であっても芸術的ではないにちがいない。
だがそれが今回のように、美術展というコンテクストの中に、芸術品と並置されるやいなや、それはそういう枠組みのなかで認識されることになるのだ。

ここにおいて、芸術の美の由来であった石ころは、芸術を自身の芸術性の由来に持つことになる。

美としての光

そして白眉がこの作品。アンソニー・マッコールの「円錐を描く線2.0」というインスタレーションである。

このインスタレーションは客席のない真っ暗な部屋をスモークで観たし、映写機が壁に円の縁を投射するもの。

光は西洋哲学史、美学史上きわめて大きな役割を持ってきた。哲学、ときいて身構えないでほしい。ごくごく単純にいえば、光がなければ我々はなにも見ることができないし、我々が絵画であれ彫刻であれ、芸術品を観るためにはそれが光で照らされていなければだめだよね、美を成立させているのは光だよね、ってこと。この考え方は古代ギリシャの時代からきわめて強い影響力を持っていた。
そう、光は目に見える“もの”ではない。光において我々は”もの”を観るのである。

ところがこのインスタレーションは光を”もの“化してしまった。可視化させてしまった。
火でもなく、太陽でもなく、星でも月でもない、科学技術によって生み出された、より純粋で掛け値なしの光と呼ぶべき光を、美として、芸術品として提示したのである。
こんなに面白いことはない。もっとも根源的な美の由来(そこにおいて美が成立するのだ)であると伝統的に考えられてきた(もちろん音楽は別)光を物体化し、芸術自体へと変化させてしまう。このインスタレーションでは、我々は光において光を、美を見るのである。

むすびに

単に美的であるものを芸術として認識させる力は展覧会を出た後も続くに違いない。森美術館を出ると六本木ヒルズの展望台が開けている。少なくとも僕は、単に美しいだけであるはずの夜景に芸術性を見出したのであった。


シンプルなかたち展:美はどこからくるのか | 森美術館



森美術館の展覧会「シンプルなかたち展:美はどこからくるのか」 2015.4.25(sat)- 2015.7.5(sun)

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