雨 と ことば を考える。―雨の日と上手に付き合うためのあれこれ―

雨にも色々な雨がある。特にじめじめとしたこの季節の雨は、なかなかどうして好きになれない。 けれどぜひ、知ってほしいことがある。日本語における雨は、とても豊かであるということを。日本語は、雨の色んな顔を知っている。では、それは何故なのだろう?何がそうさせるのだろう? 答えは出ないかもしれないが、ぼんやり考えてみよう。 これは、言葉としての雨から考える、日々の当たり前との付き合い方の話。

雨の休日と向き合ってみる。

雨の日の休日は、外出したい気分を渋らせる。
何もしないまま過ごしてしまい、気が付いたらもう夕方。
そんな経験が一度はあるだろう。

あなたは雨の日の休日を上手に過ごせているだろうか。

こんな風に窓から見える景色が雨に濡れていたらそれだけで気分はアンニュイ。

そんな時だからこそ、自宅で楽しめることを見つけたいものである。

けれども家の中で出来ることは限られている。
ネットのコンテンツ漬けという言うのも少し芸が無い気がする。

そこでたまには自分の頭の中だけで、色々なことに想像を巡らせてみるということを提案したい。
6月ということでお題は「雨」
そういえば、雨という言葉はたくさん種類があるような……。

雨の言葉いろいろ。

天気予報や小説などで、
たびたび登場する「雨の名前」
にわか雨や小雨は分かるけれど、場合によって字面からでは想像できない雨の名前も存在する。
なんでそんなに分けているのだか分からない。
わざわざ雨のことにそんなやっきにならなくても、雨は雨である。
では何故、雨についての言葉はこれほどまでに細かいのだろう。

その昔、生活に密着していたからでは?

日本は農耕民族であった。
平たく言えば、田んぼや畑から取れる作物を収穫して生きていく文化。
田畑を管理するために、雨水は不可欠である。
それだけ生活に密着していたからこそ、雨に対しての違いに敏感になっていたのかもしれない。
類語大辞典の「いろいろな雨」「季節の雨」という項目にも、
・淫雨:作物に被害を与えるような長雨
・恵みの雨・慈雨:長く続いた日照りのあとに降る、大地を潤す雨
・麦雨:麦の実るころに降ることから。
といった作物を意識した種類の雨が確認できる。

今ほど技術や雨対策の進んでいない時代では、自身の生活を左右しかねない存在であったと予想される雨。
自然と興味関心が生まれ、区別が生まれ、言葉が細かくなっていったとしてもおかしくないと思うのである。

季節の変化による雨の変化があったのでは?

日本の四季は他の地域よりも季節の移ろいが豊かだ、という話を聞く。雨もまたその季節によって違いを見せているためなのだろうか、季節ごとの雨の言葉も存在している。
その季節ごとに降る雨も少し違う、というのは実際に日頃の雨から感じ取れる。

またも類語大辞典から先ほども見た「季節の雨」という項目を参照すると、
・春雨:春、静かに降る雨
・五月雨:陰暦五月ごろ(だいたい5月下旬から7月初旬)にあたる梅雨時にしとしと降る長雨
・麦雨:先の通り
・夕立・白雨:夏の夕方にざっと降ってやむ雨
・秋雨:秋に降る長雨
・時雨:晩秋から初冬にかけて降ったりやんだりする雨
というように、雨がその季節の名前を冠していることが分かる。

雨から転じて、日々の当たり前を考えてみる。

こんなふうに「たられば」であれば、字面と意味を見比べるだけでも想像することが出来る。
なぜ、言葉が出来たのか、成り立ったのか、というところはさておいても、雨という言葉だけで多くの意味が存在する。くだらないと言ってしまえばそれまでだが、そこから生まれる単純な「なぜ」に食い付く時間を作ってみるのも楽しい。

本やコーヒー。(お酒でもいい。)
好きな物を傍らに置いて、日々の当たり前のことについての思索に耽る。
それは物事に興味を持つきっかけであると思うし、深めるきっかけであると思う。

せっかくの休日なのに雨。もし何も予定が無いのなら、そんなインドア(これはポジティブなインドアだと思う)な過ごし方も悪くはないと思う。
ぜひ、雨について、ひいては言葉についても、考えをめぐらせてみてほしい。
友人や大切な人とそんな他愛もなくて、けれど特別なことを、語り合ってみるのも良いかもしれない。

当たり前で陰うつなことだからこそ、考え方ひとつで特別にしていきたいものである。

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