カテゴリ: 大人の嗜みガイド

主体性の向上とフェスの関係ー時代の変化と流行の関係ー

”モノ”から”価値”へ。
大量消費社会の幻想が無残な形で破れた今、人々の求めるものは、単なる消費(いいかえれば物欲を満たすということ)から、それに付随する価値へと軸足を移している。

単に企業が作ったものを受け取って消費するのではなく、自らが良いと思うもの、価値をかんじるものへと積極的に手を伸ばしていく、そういう姿勢の変化が、時代の潮流の変化のなかで生まれてきたのである。

自分だけのものを。あるいは自分だけのものではなくとも自分らしいものを。

そうした主体性は、一方では僕らが望んだものであり、同時に他方では時代が僕らに要請したものでもある。
だがそれを望むと望まざるとに関わらず、僕らの生きる21世紀という時代の無意識は、この「主体性」という言葉に集約されざるをえないのだ。

わかりやすいところではアウトドアブームやDIYブームにあらわれているこうした時代の変化は、もちろんフェスの流行にも大きく関係している。

フェスと主体性

フェスというものはそもそもが非常に主体的なイベントだ。それは二つの意味で主体的なのである。

フェスの運営のために僕らが主体的でなければならぬということ


フェスがうまくいくためには、そこに参加するオーディエンスの協力が極めて重要となる。たとえば以下は98年の第二回フジロックの広告の内容である。この広告はフジロックが如何によいものであるか、ということではなくフジロックのために必要なマナーをまとめたものになっている。


・まず…体を鍛えてくる!
フェスティバルは真夏の炎天下、10時間以上にわたって行われます。
各自、日射病、熱射病等に気を付け、自己の健康管理に心がけて下さい。

・そして…歩いてくる!
お車での来場は一切出来ません。違法駐車、及び近隣住民の迷惑になる行為はやめて下さい。

・さらに…ゴミは捨てない!
お帰りの際、ゴミは各自で持ち帰ってください。レジャーシート、パラソル、クーラーボックス等の
持ち込みは可能ですが、会場内での使用は客席後方のみとさせて頂きます。
会場内ではカメラ、ビデオカメラ、テープレコーダー等での出演アーティストの撮影、及び録音は禁止致します。

・みんなで…助け合う!
フェスティバルはみんなで協力し、助け合いながら初めて成功するものです。
会場内にアルコール、ビン、カン類、花火等の火薬類、その他危険物及び
法律で禁止されている物のお持ち込みは禁止します。
会場内、外において、他のお客様の迷惑になる行為を行う、係員の指示に従われない等のお客様は
強制的に退場させて頂くこともあります、皆さんの協力をお願いします。
場内、外で発生した事故、盗難等は主催者は一切責任を負いません。
終演後はすみやかに御退場願います。会場内には宿泊出来ません。

・最後に…自分の面倒は自分で見よう!

このようにフェスという大規模なイベントの中で自分の面倒を自分で見るという(Do it yourself)精神、参加者がイベントを作り上げていくような主体的自治性が育ったということは注目に値する。

僕らが主体的にフェスを楽しむということ

フェスにおいて音楽、そしてライブが単に提供されるだけのものから、僕らが主体的にかかわって作り上げていくものになった、ということは、音楽と僕らの従属関係が逆転したということを意味しているのである。

この変化は実際にフェスで音楽を聴いている場においても如実に表れている。パフォーマー>オーディエンスという構図からオーディエンス>パフォーマーという構図へと変化しているのがそれだ。

こうした構造の変化は、フェスのもつ二つの特徴にみることができる。

まず一つ目が選択の自由。
音楽系のフェスは通常、複数のステージに分かれていて、それぞれに特徴あるアーティストがラインナップされていることが多い。これは「どのステージに」「どのタイミングで」行くか、という選択を、僕らが主体的に行わなければならないということを意味する。

そして二つ目が、主役が僕たち自身であるということ。
フェスにおいて楽しむ主役は僕ら自身だ。自らが選択したステージに、自らが赴くとき、一見パフォーマーの側に焦点が当たっているように見えて、その実、主体的に選択を行ってそれを楽しんでいる僕ら自身がクローズアップされているということがわかる。

この特徴はフェスの性格の変化の中に如実に表れている。
わかりやすい例がフジロックやサマソニ。当初こうしたイベントは一部の洋楽好き、ロックオタクが足を運ぶイベントであった。聴きたいアーティストの聴きたい曲を聴く/受け取る場であった。
いまではそれは変化していて、聴きたいアーティストがいるというよりは、フェス自体として盛り上がれる、あるいは楽しめるということに主眼が置かれている。フェスにおいて、音楽は目的から、楽しむための手段へと変化したのである。
もうひとつわかりやすい例をあげるなら、EDMや四つ打ちダンスロックの流行だ。とくにEDMにおいてパフォーマーの存在感は極限まで薄れ、僕らオーディエンスが主体的に”踊る”ということが焦点化される。

非音楽系フェスの場合 -ビールフェスを例にー

ビール離れが深刻な問題だ、という話はあちこちで聞く。事実主要なビール会社の売り上げは軒並み落ちていて、ビール類の出荷数も2003年には5億1,344万ケースだったのが、2015年は4億1,900万ケースにまで減少する見込みだという。
しかし一方でビールフェスは極めて好調だ。世界最大のビールフェスであるオクトーバーフェストが日本に上陸して十年以上が過ぎたが、会場数、動員数ともに伸び続け、2013年には全会場合計で60万人以上を動員するビッグイベントになっている。
もちろんビールフェスはオクトーバーフェストだけではない。さいたま新都心での「けやきひろば ビール祭り」や湘南、大手町において開催予定の「ニッポン クラフトビアフェスティバル」等こうしたイベントは枚挙にいとまがない。

こうしたビールフェスにおいても、音楽フェスと同様の現象がおきている。すなわち僕らの側の主体性の向上であり、従来型の「大手ビール会社>消費者」から「消費者>大手ビール会社」への関係性の変化だ。

ビールフェスなるものに一度赴いたことのある人ならわかると思うが、そこには多種多様のビールやおつまみが用意されていて、単に用意されたもの、お膳立てされたものを超えた「選択の自由」が存在する。ビールフェスにおいて、僕らは主体的に「どのビールを飲むか、あるいはどのソーセージを食べるか」という選択をしなくてはならない。
以前は、少なくともビールに関して言えばかような選択は必要なかった。居酒屋に入り、「とりあえず生」と注文するとき、それがヱビスであるか、あるいは麒麟であるかは全く重要ではなかったし、脳裏に浮かぶことさえなかった。

主体性への反発とSNS

以上で示したように主体的な選択ができる、あるいはしなくてはならない「フェス」というイベントの爆発的な流行を支えているのはインフラとしてのSNSの存在だ。

フェスをはっきりと特徴づけている主体性は、僕らが望んだものであると同時に、時代が僕らに強いたものでもある。
僕らは主体的でありたい、自分らしくありたいと望むと同時に、多様化する社会、価値観の中でそうすることを強いられてもいるのだ。
だが多様さの中で自分を維持し続けることにはおおきな労力が必要とされるし、それは従来型の巨大な権威(それがマスメディアであれ、大企業であれ)が僕らを束ねていた時代には存在した、コミュニティの安心感、安定感が喪失したことを意味している。
今週のジャンプやヒットチャートが、必ずしも共通の話題として成立するわけではなくなった今、僕らは深い孤独の中に取り残されてしまうのではないかという不安と常に戦わなくてはならない。

そんな中でツイッターやフェイスブック、インスタグラム等といったSNSは、今週のジャンプやヒットチャートに代わるものとしての大規模なコミュニティを生み出し大成功を収めた。SNSは、かつてない規模で多様化する人間、社会を再びつなぎ合わせるプラットフォームとしての役割を担っている。
SNSというプラットフォームの成立によって、“自分らしさ”を維持し続けながら、同時に自分と似たような人と容易につながってコミュニティ形成できるという、主体的に生きるためのインフラストラクチャが整備されたのである。

インスタグラムやツイッターといったSNSには「ハッシュタグ」と呼ばれるような機能が備わっている。SNSへの投稿に「#○○」のように入れることでその記号がついている投稿を検索画面等で一覧できるようにする機能だ。
もちろんハッシュタグを用いずとも、SNSの検索機能を使えば、リアルタイムで、自分の知らない人が自分と興味関心を同じくしていることを知ることができるようになっている。

これがフェスと組み合わさったとき、フェス会場における現実の空間共有と、SNSにおけるバーチャルな空間共有はシームレスにつながることになり、緩やかな、時には緊密なコミュニティ、コミュニケーションが成立することになるのである。(ハッシュタグの一覧をながめているだけでも参加感が高まる)

そしてこうしたコミュニケーションはフェスの前中後に見ず知らずのバーチャルな他人(フォロワー、フォロイー)間で成立するだけではない。
フェスが終わった後、リアルな友人間でも、共通言語として紐帯を強める働きがある。

もちろんこうした多様化、主体化への恐れからくる反動は、時代への逆行としての側面を少なからずあわせもっている。こうしたSNSの作用によって「自分らしく」「主体的」に生きることが阻害される可能性もないわけではない。

でも時代の趨勢はゆるやかに、そして確実にそうした動きを鎮静化させていくはずだ。

我々アクセトリーは「自分らしく生きる時代」に、かつ時代に流されずに「自分らしく生きる」人たちを応援していきたい。

まとめると……

さて、最後に「どうしてフェスが流行っているのか」をまとめると以下のようになる。

・時代の変化とともに、多様性、主体性が重視されるようになり、それとフェスの特徴が合致した。

・そうした多様性は、「誰とも同じではない、つながれない」という不安を引き起こすものであったが、SNSがそれを解消した。


今回の記事では、フェスの流行について、より大きな時代の変化、価値観の変遷という枠組みの中で考察を行ったが、もちろんその他の切り口も多々存在する。
例えば景気回復に伴い、長く続いた不景気の閉塞感からの反動としてフェスが受けているのだ、という切り口、あるいは、いわゆる”リア充”と呼ばれる人たちが自らのリア充性を周囲に喧伝し、いいね!をもらって承認欲求を満たすためにSNSに投稿しているのだ、という切り口。
いろいろ見ていけば見ていくほど多様な切り口、分析が可能ではある、ということを断ったうえで本記事の締めくくりとしたい。

もちろんこれも一つの考え方

もちろんこれは一つの考え方に過ぎない。
これを読んでいるあなたはどうおもいますか?

なんでフェスが流行っているのか、かんがえてみませんか?

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編集部 三宅隆平

脳髄を置いてきぼりにして走る

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