カテゴリ: 大人の嗜みガイド

二科会ってなに?

最近では芸能人などの入選が報道されることもおおい「二科会」。名前を聞いたことのある人も多いに違いない。
しかしながら、二科会それ自体がどういうものなのか、ということを知っている人はごくごく限られているように思える。

二科会が成立したのは1914年のことだ。
当時の新人画家の登竜門は政府主催の文展こと文部省美術展覧会(現在の日展)であった。
文展は日本画、洋画、彫刻の三部門に分かれていたが、日本画部門が新旧二科(実験的なものと伝統的なもの)あったのに対し、洋画部門は一科しかなく、新しい絵を描こうという人材が蔑ろにされていた。
これに対して不満を持っていた画家たちは政府に、日本画同様の新科を設置して二科制にするよう建白書を提出したが受け入れられず、文展を離脱して「二科会」を結成したのである。

その成立に上記のような背景をもつ二科会は、それゆえに新しい、刺激的な芸術に挑戦し続ける若手たちの研鑽、発表の場として機能し続けてきた。
戦時中にはいったん解散させられるも、戦後は再び復活し写真部門やデザイン部門等を新設し、日本の美術界の最先端であり続けてきた。

伝説の洋画家たち 二科100年展

二科会入選作品の展覧会である「二科展」が今年百回目を迎えることを受けて開催されるのがこちらの企画展「伝説の洋画家たち 二科100年展」だ。
有島生馬や東郷青児、岡本太郎といった、日本の美術史に燦然として輝く伝説の画家たちの二科展出展作品120点が一堂に会するこの企画は、時代の流れに沿って展示されており、そのまま日本の美術史の主流がたどれるようになっている。
また数は多くないものの、マティスをはじめとした海外の芸術家の作品も展示される。

本企画で二科展の歴史は以下の四段階に分かれて説明される。

草創期

第一回二科展が開催されたのが1914年10月。当時の審査員は石井柏亭、山下新太郎、有島生馬、坂本繁二郎、梅原龍三郎、津田青楓、斎藤豊作ら11名。
第6回から彫刻部門が設置された。

揺籃期

二期会の活動が本格的に活発化し、多くの分派や潮流を生み出したのがこの時期である。

発展、そして解散

藤田嗣治、東郷青児など、今もなお愛され続けている画家たちが加わり、戦前の活動は頂点に達したが、一方で石井、有島、山下ら一部の創立メンバーが二科会を去り、そして1944年には戦争の激化によって解散させられることになる。

再興期

戦争が終わるや否や、東郷や、高岡徳太郎らが中心となって二科会が再結成される。
その後写真部門や商業芸術部門(現在のデザイン部門)が新設され、その影響力はますます高まって現代にいたる。

最後に

今回はまだ開催が始まっておらず、ざっくりとした記事にならざるをえないが、開催がスタートの後、実際に赴いて、詳細なレポート、考察をお届けしたいと思う。
楽しみにされたい。

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編集部 三宅隆平

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