日本のビール史を変えた男‐闘う醸造家、サンクトガーレン岩本氏‐

空前のクラフトビールブームが今まさに来ている。でもクラフトビールってどこから来たの?そしてどこへ行くの? 今回はそんな企画の第一弾、「日本のビール史を変えた男、岩本氏」の物語だ。

運命の一歩、というものがある。
その一歩の有無が歴史を左右してしまうような一歩だ。

時は1980年代のおわり、日本ではちょうどバブル真っ盛りの頃だろうか。
今ではマイクロブルワリーの雄として知られるサンクトガーレン社長の岩本氏とその父、兄がサンフランシスコのとあるレストランに踏み入れた一歩もそのような一歩であった。

そのレストランではビールを自家醸造していたという。
大手のラガービール(=いわゆる生ビール)とは全く異なる、そのレストランの個性的なエールビールに、岩本親子は感動した。シンプルに「ビールの本当のおいしさを日本人にも伝えたい」と感じた。

その岩本親子の一歩が、やがて日本中を巻き込む地ビールブームを引き起こし、現在のクラフトビールブームへとつながることになる。

ラガー(生ビール)一辺倒だった時代の話。

ではその当時の日本の、そして世界のビール状況とはどのようなものなのだったのだろうか?

「まず、日本では大手の作る、いわゆる「生ビール」しか存在していませんでした。2000L以上の大規模生産しか認められていなかったため、当然のように大手以外のビールは存在していませんでした。」

エールビールの味に惚れ込んだ岩本氏が、小規模にビールを作れないか、役所に掛け合ったときの対応は冷たいものであった。

「日本に小規模醸造は不要である。」

役所から届いたファックスにはそう記されていたという。

「一方で、ビールの本場、欧米でもエールは絶滅の危機に瀕していました。やはり欧米でも、小規模醸造家は大規模メーカーに押されていて。で、皆がカールスバークやバドワイザーばかりを飲むようになっていた。このままではいけない、と危機感を感じた人々が、イギリスでCAMRA(Campaign for real Ale、「真のエールのための運動」の略)を起こし、それがやがてアメリカに伝わって今日のクラフトビールブームにつながったんです。」

岩本氏がサンフランシスコにいたとき、自家醸造のエールビールを出すところは4店舗もなかったのだという。それが今では何十店舗もある。

岩本氏がビールへの情熱を燃やすのと時を同じくして、欧米でも「真のビール」への熱意が燃え上がったのだ。

前述のように、役所にあしらわれてしまった岩本氏とその父は、しかし諦めなかった。

「日本がダメなら、規制の緩いアメリカで「自分流エール」を作って日本に輸出すればいいじゃん。単純にそう考えたんだよね。」
何のことはない、という口ぶりの岩本氏だったが、そのための苦労は察するに余りある。

「当時はバブル景気で。父のやっていた飲食店がアメリカにも進出していたので、アメリカでビールを作ることにしました。それが1993年だったかな。それを逆輸入する形で日本に持ってきた。」

「その時にちょうどG7サミットが開催されていて、日本の規制の厳しさが大きく取り上げられた。その一環でアメリカの新聞紙に弊社のことが掲載されたんです。「イワモトは自分のビールを作るのが夢だった。そしてその夢はアメリカで叶った。」みたいな感じでね。」

以下がその時の新聞の写真である。

この記事のこともあって、日本でも規制を緩める動きが広がっていったのだという。

「94年かな、細川内閣の時、ついに地ビール解禁。で、地ビールブームになったわけ。地ビール解禁にはなったんだけど、当時はアメリカに工場作ったばかりだったし、アメリカで作って日本に持ってくる形をとっていました。」

しかし読者の皆様もご存じのように地ビールブームは泡のようなものにすぎなかった。

「ブームに乗ってたくさんの地ビールが生まれた。でも90年代の終わりにはもうだめになっていた。町おこしの一環として作られることがあって、あまり情熱を持たない人たちが多かったのかと思います。」

それと時期を同じくして岩本氏も苦境におかれることになる。

「地ビールブームがどうこうというより、父の会社が苦しくなってね。バブルがはじけた後もどうにかやりくりしていたんだけど、力尽きてしまった。最後の力を振り絞って作ったのが、厚木のビール工場。」

「そこから2005年くらいまでは非常に厳しかった。でも昔からのファンがついていてくれていたから、まあその人たちに向けてビールを作っていけばいいかな、と気楽に構えてどうにかやってきたんです。」

麦芽が……、ホップが……ではなく「チョコレート」

そんな岩本氏の転機は2005年に訪れる。

「ちょうど落ち着いてきたころに広報の方が新しくジョインしたんです。その頃なにかヴィンテージを作ろうと、「インペリアルスタウト」というスタイルのビールを作っていたところでした。それがチョコレートのキャラクターの際立った「インペリアルチョコレートスタウト」です。で、広報の方が「じゃあこれをバレンタインにぶつけましょう」と。」

それで売り出したのが2006年1月。

「もう反響がすごかった。ヤフーニュースのトップにも載って、テレビにもとりあげられてね。ビール愛好家から一般の方へと広がっていったのを実感しました。」

「そのビールを買う女性に話を聞いて気付いたんです。我々は「麦芽が……」とか「ホップが……」とかそんな風に説明していたけど、そうじゃなかったんですね。「チョコレートみたいな味です。」こういう表現なら興味を持ってもらえる。「ほらね、カカオなんて一切使ってないのに、チョコレートの風味がする。ビールって面白いでしょ?」ってね。

2007年からはスイーツビールも作り始める。

「最初はビール愛好家の間でも賛否両論でした。でもビアフェスの一般者人気投票でスイートバニラスタウトという、ウチのビールが1位に選ばれたんです。自分のやってきたことは間違っていなかったんだな、と自信を持てるようになりました。」

ちなみに、いまでこそサンクトガーレンは、湘南ゴールドをはじめとするフルーツビールでもよく知られているが、最初壁にぶつかったという。

「ビールはノウハウあったけど、果物のような副原料を醸造するのは大変でしたね。ジュースをまぜて作る「フルーツビール」の製法もあるんですけど、でも自分は「醸造家だ!」という思いがあったから、果物の糖分も一緒に発酵させることにこだわりました。」

クラフトビールブームへの危惧

クラフトビールブームの影響はあるのか、と尋ねると、意外にも岩本氏はこう答えた。

「いやあ、そこまでは感じないなあ。というかウチはクラフトビールブーム関係なくずっと右肩上がりだからね。でも他のブリュワリーの方と話していると、やっぱりブームにはなっていると聞きます。実際クラフトビールのお店は増えているしね。」

しかし一方で危機感もある。

地ビールブームの時みたいになってしまってはいけない、とは思っています。正直なところクラフトビールと一口に言っても玉石混交なんですよね。一過性のブームになってしまって飲む人が「クラフトビールってこんなもんか」って思ってしまうのはいやだ。」

ビール嫌いだった父は、エールビールに出会ってビール好きになった

地ビールブームを引き起こした本人でありながら、地ビールブームともクラフトビールブームとも関係なく、ただただビール作りをしてきた岩本氏。

「結局のところ、私は自分のビールを作りたいだけ。それでみんなに「ビールっておいしいんだ。」「ビールって面白いんだ。」って思ってほしい。」

「父はね、昔ビールが飲めなかったんです。まだ生ビールしかなかった頃の話ですが。その父が、エールビールに出会って初めて「ビールっておいしい!これをどうしても自分の会社で作りたい!」とおもった。そういう体験をもっともっと多くの人に届けたい。それだけです。

「とはいえ、たくさん売れて設備もガンガン投資して、というのをめざしているわけでもないんですよね。もっとみんなに飲んでほしいけど、これ以上大きくしすぎると、私の好きなようにできなくなってしまいますからね。」

そこが難しいところだ、と語る岩本氏の瞳は、少年のようにきらきらしていた。

岩本親子とエールビールの偶然のような出会い、それがなければ、今でも日本には大手ラガービール(生ビール)しかなかったのかもしれない。
「とりあえず生」も悪くはないけれど、ビールに多様性のない世界は、今よりもすこし退屈なモノだったのだろう、と思う。

今回取材にご協力いただいた、サンクトガーレン様のサイトはこちら。

企画第二弾、ネストビールを作る木内酒造への取材記事も併せて読んでほしい。

ビールな人々Vol.2、常陸野ネストビールの木内酒造はこちら

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